大人の階段

明治大学国際日本学部宮本ゼミ2期生のブログです。

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2011/12/21(Wed)

【第17回】私の東京

こんにちは!
そろそろこのコラム「私の東京」も終わりに近づいてきましたね。
第17回は辰巳がお送りします!


私は率直に私にとっての東京について書こうと思いまして、考えてみました。

私にとっての東京とは、
「故郷であり、故郷でない場所」
です。
意味不明ですね。こう思うに至った経緯について説明していきます。


私は東京生まれ東京育ちです。実家も明治大学和泉キャンパスから徒歩20分というなんとも便利な場所にありまして、生まれたときからずっとそこにあります。

しかし、小学3年生から中学3年生の7年間だけ長野に住んでいた時期がありました。引っ越したわけではなくて、実家はずっと東京にあるまま、親元を離れて、です。
「山村留学」という制度を利用していたのですが、端的に言えば農村自然体験プログラムというもので、まあとにかく都会でできないことをたくさん体験しました。
学校には毎日往復約12km歩いて通っていたし、さらには100kmの山道を24時間で踏破するという某24時間テレビもビックリの結構すごいことなど経験していますが、詳しく書くととても長くなるので省略します。

ちなみに、小学6年生の時の修学旅行の行き先がなんと生まれ故郷の東京でした。
帰省ならともかく自分の故郷に旅行なんてきっと滅多にないでしょう。
とはいっても東京の観光スポットはあまり行ったことがなかったので新鮮だったし、今まで知らなかった「憧れの東京」という新しい側面を知ることになりました。

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写真はその修学旅行で初めて登った東京タワー。誰でも知っている定番の観光スポットかもしれませんが、東京に住んでいるとなかなか行く機会もないのです。

こうして長野に7年間住んだことによって、自分の中ではすっかり東京は故郷ではなくなっていました。
周りには長野のことを「第2の故郷」なんて言っていますが、もはや第1の故郷といっても過言ではないくらいにこの頃の記憶は濃すぎるし、人生の大きな土台となった場所です。

そんなわけで、高校生になって東京に帰ってきてからも違和感ばかりでした。実家付近が見慣れた街であることを除けば、まるで初めて上京してきて右も左も分からない田舎者状態です。東京生まれなのに。
長野にいる間はあらゆるメディアからほぼ断絶された生活を送っていたので、しばらくは流行についていくのに必死でした。それに加えて、東京は野菜も水もおいしくないし、人はやたら多いし無愛想だし、自然はないし…と不満だらけ。(不満があるのは今でもあんまり変わっていませんが。笑)
今ではすっかり東京っ子と化している(つもり)ですが、いまだに故郷に対する愛着が湧くのはやはり長野なんですね。


ということで、
東京は生まれ故郷ですが、故郷を愛着が湧くところと考えると私の中では故郷ではないのです。
今まで生きてきた21年というスパンから考えれば東京で過ごしている時間は明らかに長いのにもかかわらず、東京に帰ってきてだいぶ経った今でも7年間しか住んでいなかった長野に故郷の座を奪われています。
私にとってはそんな微妙な立ち位置にいる東京でした。


さて、微妙な立ち位置にいると上で言ったばかりですが、最後に私の落ち着く東京の風景を紹介したいと思います。

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これは明大前から京王線の線路沿いに下高井戸方面へ向かう道で撮った写真です。大学1年生の頃だけこの道を使って通学していました。今は別のルートで通っていますが、明大前付近で飲んだりご飯を食べたりした後はこの道を通って家に帰っています。
ちょうど西向きに歩くので、写真のように晴れた日は線路の向こうに夕焼けがきれいに見えます。明大前から5分もかからないので機会があればぜひ。

就職したら東京を離れてしまうかもしれないし、この先いつまで東京に住んでいるかは分かりませんが、こうやって東京にも上の写真みたいな落ち着く風景が増えていって、いずれは長野と並んで愛着が湧く自分の故郷になったらいいなと思っています。



ということで、かなり長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました!
次の更新は金曜日です!お楽しみにー。

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